30代の生存戦略
実に3年ぶりに記事を書いている。
高校中退引きこもりが大学を卒業し、親のコネでなんとか就職して、そこから転職して、30過ぎて初めて彼女ができたり別れたりして今に至る。(その間にエヴァも完結した)
最初の記事は2016年のようだが、あの頃の私はかなり鬱屈としていた故に、当時の記事も読み返すと痛々しい。
まあ若かったなと。もっと人生楽しめよと言いたい。
それができたら苦労しないが。
こじれた10代20代を過ごしたが30代である程度軌道修正し、今では必死にレールに乗ってきた人々の真似事をしている。
本当に政治には興味が失くなったし(一応投票には行くが)、もっと金が手に入らないかなーとかぼんやり思う俗物の塊になってしまった。
結局高校中退とか引きこもりとか自分に大きくのしかかっていたものと無縁な生活を送っているので、あれは一体何だったんだろうと思う。
今でも親は苦手だが、幸い物理的に距離を取れるだけの経済力があるので折り合いをつけられている。
まあ長野県の市議の息子の事件を見て他人事とは思えないが。
過去の自分と同じような境遇にいる人はうまく抜け出してほしい。
現実で接点があればせめて話でも聞いてあげたいが、よっぽどそういう支援団体にでも参加しないと難しいだろうし、当人たちは(当時の私含め)そういう支援団体に対して勝手な不信感を抱きがちで接点を持とうとしないのでなお難しい。
人間は他人と関わらないと生きていけないのだが、関わるのは怖いし恥ずかしいわけで。そこを開き直ってしまえれば随分楽なんだろうけど。
多分当時の私は親に変化を気取らるのが非常に嫌だった。「この子も社会に復帰しようとしている」と思われることが、親の希望を叶えてしまうようで嫌だった。
こうなると抜け出せなくなる。まあ親の希望なんて知ったこっちゃなく、自分にとっての幸せを純粋に求める気持ちになれるかが鍵だと思うが。
とはいえ虚無感みたいなものを必死にごまかして今も生きている。結婚して子供でもできれば変わるのだろうか。つくづく凡人は型にはまって生きるしか正気を保つことはできないのだと思わされる。
「30代の生存戦略」などと気取ったタイトルを付けてみたが、とりとめもない文章になってしまった。要するに一つなにか手に入れて欠乏感を埋めたとしても、またすぐ次の欠乏感が生まれてしまうのだ。
学歴を得ても、職を得ても、彼女を得ても、だ。
幸せな家庭を持っている人、自分より出世している人。それなら今からでも手に入るかもしれないが、充実した青春を送った人に対しての欠乏感となれば埋めようがない。
他人と比べる癖は治らなかったようだ。さすが凡人である。
さあ凡人は明日も仕事なのだからそろそろ寝よう。
(ここまで書いてやっぱり未だにこじれているのかもしれない)