『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』読了

『あの花』を放送当時観ていて、主人公の描写に不登校経験者としてとてもリアリティーを感じた。

先日、そのことをふと思い出してネットを検索すると、脚本家の岡田麿里不登校経験者という記事が見つかり合点がいった。そして彼女自身の不登校経験を綴っている本書を手にした。

私は岡田麿里のファンでは無く、彼女の作品を追っかけてきたわけでもない。むしろ『花咲くいろは』や『あの花』からにじみ出てくる「痛い感じ」が苦手だ。それでも『あの花』の不登校の心理描写は心に残るものがあった。

本書は大きく不登校時代・上京時代・社会人時代に区分けできるが、不登校時代については私自身の経験ほど悲惨ではないように思いながらも、読んでいてうなずいてしまう描写が多々あり、本業の方に対して僭越ながら、よくここまであのドロドロとした心情を言語化するものだと感心した。

上京時代については、秩父出身の岡田麿里に対して23区出身の私には共感しづらいものだった。加えて彼女はゲーム専門学校に進学するのだが、私はゲーム専門学校への進学を一時期考えるも親の反対され断念、同級生より数年遅れて都内の大学に進学した。ただ大学・専門学校の違いはあれど多少は休んでも大丈夫という環境だったことは共通していると感じた。

上京が彼女にとってターニングポイントであったのと対象的に、私の場合は大学に進学しても実家暮らしだったので、(山には囲まれていないが)息がつまるのは解消されなかった。彼女に限らず上京が人生の転機になったという話はよくあるが、そもそも上京という選択肢が存在しない私にとっては羨ましい限りだ。

社会人時代については只々おめでとうという感じだった。もちろん苦労はあるのだろうが、不登校を脱却して自身の能力を活かした仕事を手に入れたというだけで上出来すぎるだろう。突然ヒステリックになってしまうところが彼女の脚本と同じ「痛い感じ」がして苦手ではあるが。

本書は不登校時代に大半のページが割かれているので、私自身が言語化できなかった経験が活字になっているというだけで満足できるものだった。本書を読み進める合間に録画したままだった『ここさけ』も観てみたが、部分部分では良くても全体を通すとやはり「痛い感じ」が好きになれなかった。ただ、岡田麿里という人物には不登校経験者として興味をいだいたので、そういう人がどういう脚本を書くかということに今後も注目していきたいと思う。