本田圭佑氏の発言は糾弾されるべきではない

本田圭佑氏のTwitter上での発言が話題になっている。

 

私はこの発言には同意しない。

前半のように「他人のせいや政治のせいにするな」と命令されたくないし、両親への感謝は絶対的なものではないと思う。

後半の「嫌ならやめればいい」や「成長に囚われろ」という言葉の真意は分からないが文字通り解釈するならあながち間違ったものでは無いと思う。

やはり多くの人の反感を買ったのは前半部分だろう。

 

ではこの発言は非難を受けるべきだろうか。

そうは思わない。本田圭佑氏は政治家でも官僚でも無いのだ。

いちサッカー選手である本田氏の発言を真面目に受け止める必要など全くない。

彼に対して「私はこう思うので本田選手の発言には同意しません。」とリプライすることは一切問題無い。しかし、そのような発言が自殺を助長するだの、スポーツ選手が社会問題に首を突っ込むなだのと糾弾するは行き過ぎている。いくら有名人とは言え、このような発言すら封殺される光景はとても息苦しい。

むしろサッカー選手の発言に大騒ぎするほうが危険では無いだろうか。直接会ったこともない他人の意見に一々振り回されていてはそれこそ自殺しかねない。次に本田氏の活躍をテレビで観たときに、「そういえばあんなこと言う人だったな」と思い出すくらいで十分だ。誹謗中傷に熱くなるよりは「サッカー選手がよく分からないこと言ってるわ」とそっ閉じするのが精神的に良いだろう。

メディアの影響により、アスリートが人格的にも優れているようなイメージがあるのかもしれないが、彼らは優れた運動能力が評価されたのであって人格者であるかは別の話なのだ。「あのサッカー日本代表の本田選手がこんなこと言っている許せない」という感情は危ない。

 

もし政治家がこんなこと言ってたら「死んでしまえ」と思う。

もし本田圭佑氏が面と向かって言ってきたら反発するだろう。

だけど彼はサッカー選手なのだ。

私含めおそらく多くの人が今後も直接会うことのない人なのだ。

そしてサッカー選手にも反社会的で無い限り自由に発言する権利がある。